HOME > きりしまだより > 霧島便り63

メールマガジン登録はこちら 講演会の依頼はこちら FMきりしまプラス 木津龍馬
霧島便り

■霧島便り63

【勇気あるひと】




小さな街で60歳くらいのおじちゃんと出会った。
いつも名前を聞かない。
いつも名前を言わない。
「おじちゃん」「にいちゃん」「おっさん」「あんた」「おばちゃん」なんて感じだ。

なんとも失礼をしている。
礼儀礼節もあったもんじゃない。



おじさんは駅近くでたくさんの電気製品の廃品残骸を、ひとりで軽トラックの荷台に乗せていた。


重たいコンプレッサーのような機械を運ぶのを手伝った。

それがきっかけで会話をする。


おじさんは身の上を語った。


十年以上前に、某大企業をリストラされた。

上司を恨み、周囲を恨み、世間を恨み、会社を憎んだ。


1日に何億というお金を動かし、何十年と会社に貢献した自負があった。輝かしい実績があった。

それがある日、突然失われた。


プライドがズタズタになった。

今までの努力や人生、自分の存在をすべて否定されたことしか感じられなかった。

お金を注ぎ込み、一攫千金を狙った事業も失敗に終わった。


家族は離散した。

家も失った。

毎日荒れた。

職安に行っても、年収は10分の1以下。

仕事がないわけではなかった。

過去の輝かしい姿とあまりにもかけ離れた内容に一切頷けなかった。


それでも食べるために

生きるために

仕事をしなければならない。

それから掃除の仕事についた。


派遣され、担当したのは、かつて愛した会社のトイレ掃除だった。

帽子を深くかぶり、隠れるようにトイレ掃除をした。
時折、社員に文句を言われた。

挨拶をしても無視された。

「ここ汚いよ」「ここキレイにしてよ」


飛び散る小便を拭きながら泣いた。歯を喰いしばり、泣いた。

皆が自分をあざけ笑っているとしか思えなかった。

数ヶ月したころ、若い男性社員が言った。「いつもキレイに掃除をしてくれて有難うございます。いつもキレイで気持ちいいです」

「寒いのに水仕事大変でしょう。御苦労様です。」

あるときは

「落ち込むとトイレに逃げ込むんです。キレイなトイレにいると落ち着くんです」

そうつぶやく社員もいた。
たった一度の労いの言葉に救われるようになった。


おじさんは思ったそうだ。
かつて

自分自身が掃除のひとたちに、一度もお礼を口にしたことがなかったこと。

負け組だと心の底ではバカにしていたこと。

それどころか、そんなひとたちに感謝もなく、存在していることすら気づかずに生活していたこと。

自分は周囲より偉いと思っていたこと。特別だと思っていたこと。

そして

感謝の一言が、これほどまでにうれしいのだと。

様々な想いが巡った。

そんな出来事から、あらゆる仕事や生活の営みに、喜びを感じられるようになった。

実績、人生観、プライドが自分自身を縛り、邪魔をしていたことに50なかばにして気がついたそうだ。

ずっと、社会のせいにして、周囲のせいにして、人のせいにした。

あらゆる結果の原因は、すべて自分だったということを。

そんな気づきを、離ればなれになった娘に、手紙を書いた。

「お父さん。今の方が昔より断然かっこいい。」

娘さんからの返事にはそう書いてあった。


財布から、小さく折り畳んだ手紙を出し読ませてくれた。

肌身離さずもっていることがわかる。

リストラから十年ほど過ぎ、今にいたる。60を過ぎて、いまだ学んでいる。


おじさんは涙を浮かべ、思い出すように、ゆっくりと言の葉を噛み砕くように僕に話してくれた。


泣いた。


心の深い深いところをえぐられた。

すげーすげーすげー。

すごい勇気だ。

そんな言葉しか出てこなかった。


ものすごく自分が恥ずかしくなった。

ものすごく自分が醜いことを知った。

ものすごく自分の傲慢さを知った。

立っていられなかった。

脚がガタガタ震えた。

奥歯がガチガチと鳴った。

油まみれの作業着と、ゴツゴツした分厚い手がまぶしすぎた。



おじさんはサッと手をふり、山のようなガラクタの宝物を積んで走り去った。


その場をしばらく動けなかった。

ちゃんとお礼を言えなかった。


太陽が雲の隙間から顔をだした。

冷たいはずの風が少しだけ温かに感じた。


何度も教わっていること。
いっこうに成長せず
頭の悪い僕に

手を変え、品を変え、出来事を変え、

圧倒的な自分の穢れを知らせてくれる出会いだった。

誤魔化しは通用しない。

天はすべてお見透し。




感謝


木津龍馬 拝





木津龍馬




調和力ごはん