■霧島便り471
【感情と理性】

「感情」というやつは霊長類に普遍的にみられるが、「理性」は人類にしかない。
つまり「理性」は「特殊能力」といっても過言ではない。
進化の過程でなぜその特殊能力が開花したのだろうか。
おそらく、その一つの要因は言語による伝達を人類が手に入れたからだと推測される。
人間は他者に言語で経験を伝えて協力できる。猿は自分で経験したことしか記憶できない。
人間は文法的な経験の再現を行い、複雑な知識を表現できる。動物は身振り手振りで伝えられる内容は限られている。
例えば、連想。
地震時、人間は「家具が倒れる」という事実と「家具が倒れると下敷きになる」という事実から、「地震で家具が倒れると死ぬ」という直結的知識を組み立てることができる。そこから転倒防止のツールを設置する。そして情報拡散と共有。
このような、潜在的関連性を顕在化して出来事を予測回避することのできる能力こそ、永い年月を経て、発達した脳で複雑な情報、知識を蓄えて、「個体としては弱い人間」が「集団」で生き残ってきた証明だ。
つまり「合理的思考そのもの」より、それによって「協力する意図の共有」が生存競争で重要だった、ということになる。
この「意図の共有」を巧みに伝達できる思考が、世の中の「牽引力」、そして「宣伝」というものだ。
そこに「強者」と「弱者」、「権力者」と「従事者」「流す者」と「流される者」が識別され、常に知恵と力のあるものを中心に、物事が正当化され常識となる。
自然界にのみ、それらは通用しない。
自然界には、人間の都合も言い訳も通用しないのだ。
しかし、それすらも個々の「自分の中の世界が表面化したもの」だとしたら、、、どうだろうか。
組織の姿はトップの姿。企業の姿はトップの姿。国の姿はトップの姿。それらを選んだということは、我々の姿。地球の姿は我々の姿。
したがって、「個々の意識が問われる」ということになるのではないか。
だからこそ
「反省する能力」が必要ではないのか。
だからこそ
「一事が万事」に繋がるのではないか。「行動」が問われるのではないか。
肯定的でプラス思考というものも大切だが、一見マイナスに思える自己否定や反省する力もまた、大いに落ち込み、そこから立ち上がり昇華すれば大きなプラスとなる。
「世界」と「個」に境界線は「ない」。
お天道さまはいつもみている。
誇り高く
正々堂々がいい。
木津学

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