■霧島便り219
【空を見あげるということ】
2020年東京オリンピックが決定したその日、1ヶ月ぶりの東京にいた。
かつて住んでいた湾岸では、これから次々と開発が行われるという。
いやはや、久しぶりの東京で人に酔った。
それでも、ともに学ぶ講座生たちとの時間だけはほっとした。
都心部に住んでいるときは毎日のように土を探した。街路樹、小さな公園、、、緑と土がある場所を探した。ほんのちょっぴりのお土でよかった。
羽田までの電車の中でも、いつも空を見あげる。
キレイな青空とまではいかないが、ビルの隙間からのぞくお空もおつなもんだ。
電車の中は乗客皆が下を向いている。
床を見ているわけではない。
皆がスマホをのぞいて下を向いている。指を忙しく動かしている。
少し顔を上にむけば、都内といえども空の中、雲の流れが楽しめるのに。
空を見あげている乗客は皆無だ。
いや、もうおひとかた、おじいちゃんが空をみていた。
目があった。
僕もおじいちゃんも、ニコっとして、会釈をした。
いひひ。
うれしい。
木津学
